サクセスと承認欲求の間で
最近、よく分からなくなることがある。
私は何のために文章を書いているのだろう。
生きる証とか、生きた証明とか、
そういう綺麗なことを言うつもりはない。
そんな高尚な目的があったら、
もう少し立派な人生になっていた気がする。
そもそも、このブログは暇つぶしから始まった。
テレビを見る代わりに書き、
ゲームをする代わりに書き、
気が付けば何年も書き続けていた。
ところが途中でAdSenseが通った。
そこで順番がおかしくなった。
本来は「書きたいから書く」だったはずなのに、
いつの間にか「収益になるか」
が後ろからついてきたのである。
もちろん現実は甘くない。
収益は月に2ドルとか3ドルとか、その程度だ。
うまい棒すら満足に買えない。
私はそのために努力したわけでもないし、
SEOも研究しなかったし、
マーケティングの本も読まなかった。
だから当然の結果なのだろう。
しかし、人間は不思議な生き物である。
努力していないくせに結果には不満を持つ。
私も例外ではなかった。
Amazonで本を出した。
驚くほど売れなかった。
音を立てて売れなかった。
売上画面を見ていると、
まるで砂漠に置かれた自動販売機の
売上を確認している気分になる。
YouTubeも似たようなものだ。
視聴回数は3万回近くある。
ところが登録者は25人しかいない。
まるで大型ショッピングモール
に人が3万人来たのに、
会員カードを作った人が
25人しかいなかったようなものだ。
もはや芸術の域である。
そんなわけで、私の創作活動は
常に怒りと諦めの間を行ったり来たりしていた。
「誰も見ていない」
と思った翌日に、
「意外と見られている」
という事実を知る。
そしてさらに腹が立つ。
実際、インターネット上では
私は思ったより有名になっていた。
気が付けば私について
書かれたページまで存在する。
だが、それで満足したかと言えば全くしていない。
人間の欲望にはどうやら終点がないらしい。
無名なら有名になりたい。
少し有名になればもっと評価されたい。
評価されれば金が欲しい。
金が入れば今度は自由が欲しくなる。
実に面倒な生き物である。
結局、このブログは成功の記録ではない。
かといって失敗の記録でもない。
むしろ、自分の理想と現実の
差額が刻み込まれた記録なのだと思う。
自己嫌悪と少しの承認欲求と、
わずかな好奇心。
その全部が混ざり合った足跡。
だから私は今日も書いている。
何かを証明するためではない。
ただ、書かないと暇だからだ。
そして案外、
そのくらいの理由が
一番長続きするのかもしれない。

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