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久米宏という生き方

ポエム

コンプラと軽薄さの間に

子供の頃、画面の向こうで動く大人たちは
どこか遠い世界の住人のように見えていた。
その中で、久米宏という存在は、
軽やかで、鋭くて、
どこか無責任な自由をまとっていた。

ぴったしカンカンの笑い声と、
ザ・ベストテンのカメラワークの隙間で、
「大人はもっと堅くあるべきだ」という固定観念が
少しずつ溶けていった記憶がある。

あんな大人でもいいのだと、
生き方の許容範囲を広げてくれたのは事実で、
その影響は、思い返せば静かに深い。

同時に、ニュースという領域に
娯楽の速度と軽さを持ち込んだ罪深さもまた、
彼の輪郭を形作る一部だった。
情報の重さと、演出の軽さが混ざり合う場所で、
社会は少しずつ変質し、
視聴者の視線もまた別の方向へ導かれていった。
その功罪は、いま振り返っても複雑で、
評価の言葉は簡単には定まらない。

ただ、ひとりの時代の象徴として、
テレビという巨大な装置の中心で動き続けた人が
静かに幕を下ろしたという事実だけが残る。

喪失の感情を過剰に語るつもりはない。
けれど、長い時間を共有した画面の向こうの人物が
もういないという現実には、
小さな空白が生まれる。

その空白に向けて、
短い言葉だけを置いておく。

ご冥福をお祈りします。

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