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プロポーズ

ポエム

汚れちまったこの世界に

彼女はいつも静かだった。
静かというより、
音を吸い込むような歩き方をする子だった。
家に帰れば、誰も彼女の話を聞かない。
父は忙しさを理由に沈黙し、
母は感情の波に飲まれては、
時々彼女を巻き込んだ。
だから彼女は、誰にも迷惑をかけないように、
呼吸の仕方まで小さくした。
そんな彼女が、ある日ふと僕にだけ笑った。
笑ったというより、
表情の端が少しだけ緩んだだけなのに、
世界の温度が一度だけ上がった気がした。
彼女は恋をしていた。
でもそれは、誰にも言えない種類の恋で、
叶えることよりも、
壊さないことのほうが大事な恋だった。
「好きになるのって、迷惑かな」
彼女はそう言った。
迷惑なんて言葉を恋と一緒に並べる子を、
僕は初めて見た。
彼女の家では、
誰かを好きになることは“自由”ではなく、
“責任”や“負担”と同じ棚に置かれていた。
だから彼女は、好きになるたびに自分を責めた。
それでも彼女は、僕の名前を呼ぶときだけ、
ほんの少しだけ息を吸う音がした。
生きている音だった。
最後に彼女は言った。
「私、誰かに選ばれたかったんじゃなくて、
誰かを選べる自分になりたかった
だけなんだと思う」
その言葉だけが、今も胸の奥で静かに灯っている。
彼女が消えてしまったあとも、ずっと。

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