PR

山口一郎の目覚め

コラム

芸術は温故知新の賜物なり

サカナクションは、
長いあいだ「知る人ぞ知る」バンドだった。
ロックと電子音の境界で、
静かに構造だけが鳴っていた。

彼らの音楽は、
大衆に向けられていなかった。
ただ、 “音の仕組み”
を正しく組み上げることだけが目的だった。

だが、時代が揺れた。
震災後、 社会と個人の距離が曖昧になったとき、
彼らの音楽は輪郭を得た。

『DocumentaLy』で世界が一度止まり、
『新宝島』で世界が再び動き出した。
複雑さを捨てずに、
身体の出口だけを大衆側に開いた。

山口一郎は、
鬱の前は完璧主義だった。
音を制御し、
自分を削り、
世界を遠ざけていた。

鬱のあと、
彼は制御しきれない自分を
そのまま作品に含めるようになった。
言葉の密度が緩み、
音楽の温度が変わった。

配信ライブで、
彼は子供のように笑った。
極端なこだわりと、
無邪気な遊び心が同居していた。
「音で世界を遊び直す」
その純度だけが残っていた。

やがて『夜の踊り子』はミーム化し、
文脈を離れて拡散した。
軽いはずのミームが、
重い速度で世代をまたいだ。
サカナクションは“説明不要の存在”になった。

そして今、
彼らは再び節目に立っている。
音楽産業が変わるたびに、
彼らはその変化を身体で受け止め、
次の形を提示してきた。

静かに、 しかし確実に。
サカナクションはこれからも
時代の身体感覚を更新し続ける。

コメント

タイトルとURLをコピーしました